何もできなくても何とかなる。
こんにちは。事務局の佐藤です。
今回のコラムも自己紹介の続きです。
前々回⇒「趣味ってなんだろう。」
前回⇒「陸上競技との出会い。」
ここまで自己紹介コラムを書いてきて感じたこと、
それは、私はとても他人軸な人間だったのだなぁということ。
「賞賛されたい。」
「価値のある人間と思われたい。」
「必要とされたい。」
思い返すと、自分の行動の裏には常にこの思考があった気がするのです。
今でこそ、色々な経験を経て、
「自分がいいと思えればいいじゃん」
「自分自身がどうありたいのか?」
考えられるようになってきたけど、(と言いつつ過去の思考になることはよくある)
過去の私は「答えはどこに落ちているのかな」と
いつも世間の常識とされているような「答え」を自分の周りに探し求めていました。
陸上競技においてもそうでした。
自分が1番になれなかったとき、
1番になれなかった原因を自分の中に探すのではなく、
1番になった子の中で探していたんです。
「1番の子は〇〇というスパイクを履いてる。」
「1番の子は△△という練習をしている。」
「1番の子は腕ふりがキレイ。」
「1番の子は験担ぎに◇◇を食べている。」
それらは全て、1番の子にとって必要なこと。
必ずしも、私にマッチするわけでも、必要なわけでもない。
そんなことに、引退するまで気づけませんでした。
さらに自分自身を傷つけたのは、
「1番でなければ意味がない。」
「1番でなければ自分には価値がない。」
という思考。
1番ではない私には賞賛もなければ、存在価値も無いのかも・・・とまで思っていました。
そんなふうに、他人軸は時に自分への凶器となることもありました。
でも、社会人になって、生まれも育ちも考え方も何一つ自分とは違う人たちに出会ってから、
たとえ足が速くなくても生きていけると知り、(むしろ足の速さなんて会社で役立たない(笑))
何か抜きん出ることがなくても、働いてお金をもらえるということも知った。
そう、何もできなくて何とかなるんだということ。
できてもできなくても私は私のままなんだということ。
私は私のままだからこそ、自分がどうしたいのかが大事なんだということ。
ちょっとずつだけど、自分の中で消化されて、わかってきたような気がします。
でも、決して他人軸だった時の自分が悪いとは思っていません。
他人軸であろうと、陸上競技にあれだけ打ち込めて、そこで得た経験は何ものにも変えがたいから。
3日坊主で何事も続かない私にとって、唯一続けられたものが陸上競技だったから。
この経験があったからこそ、自分を大事にしようと思えるようになったのかもしれないから。
だから、次に打ち込めるものに出会えたら、
他人の評価など関係なしに心からやりたいことを思う存分やりたいな。
そう思えるものをちょっとずつ探していこうと思います。
心の赴くままに。
2019年6月18日